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1  丹嘉 寛延年間(1750年頃)創業、現存する唯一の伏見人形窯元

伏見人形の起源は、朝廷から土師職に任命された人たちが伏見深草の里に住んで、土器、土偶(土人形)を創りだしたことに始まります。伊藤若冲の時代(江戸時代)に最盛期を迎え、全国で90種類以上もある土人形の元祖と言われています。伊藤若冲も「伏見人形」をモチーフに作品を描きました。その一つ、「伏見人形図」の七布袋の図には、天明5年(1785年)役人の暴政を告発し江戸表に直訴した7人の町民代表「伏見義民」への想いが込められているともいわれています。往時の風俗伝説を人形に表現した伏見人形にはユーモアに富んだ面白さ、豊かな味、一つ一つに滲み出て来る庶民的な素朴さがあります。ぜひ、お楽しみください。

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2 伏見稲荷大社

伏見稲荷大社の社伝では、711年(和銅4年/奈良時代)2月の「初牛(はつうま)の日」に、「伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)=秦伊呂具」が帝の勅命により、稲荷山にある3つの山の頂に稲荷大神をお祀りしたことが起こりとされています。若冲の時代には、伏見稲荷は五穀豊穣を祈願する場所だけではなく、商売繁盛の神様としても全国から親しまれる存在となり、多くの人が参拝し、参拝した人の中から願いが叶ったお礼として鳥居を奉納するという習慣も生まれていったようです。もちろん青物問屋「桝屋」当主もこの伏見稲荷大社とのご縁は随分深かったのではないでしょうか。

3 石峯寺 (黄檗宗)

伏見における若冲ロードの起点ともいうべき石峰寺は、黄檗山萬福寺を本山とする黄檗寺院です。正徳3年(1713年)、黄檗宗大本山萬福寺第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)禅師が開創しました。伊藤若冲は、寛政年間(1789~1801)にこの石峯寺に草庵を設け、85歳の生涯を閉じるまで伏見を拠点に、「虎図」など多くの作品を生み出しました。伊藤若冲が下絵を描き制作した境内の「五百羅漢」の石像群は、円山応挙、呉春らも見学に訪れたと言います。本堂南には伊藤若冲の墓(斗米庵若冲居士)と書家貫名海屋の撰文の筆塚があり、毎年9月10日に若冲忌には多くの若冲ファンが訪れています。

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4 宝塔寺(日蓮宗)

当初は真言宗でしたが、徳治2年(1307)、日蓮の法孫・日像に帰依して日蓮宗に改めました。本堂は1608年創建。境内には肺病治療の名医・宗有(そうゆう)とその妻妙正の墓があり、夫婦墓と呼ばれています。また、「伏見の里に名高きものは藤の森に伊良子道牛」と歌われた伊良子派医師:伊良子道牛(1672-1734)と孫・光顕(1737-1798)の墓もあり、ここでも若冲と同時代に生きた人々がしのばれます。境内からは伏見桃山城が望め、七面宮からの眺望は特に有名です。

5 瑞光寺  日蓮宗 明暦元年(1655)開祖・元政上人

  開祖が元政上人であることから『元政庵 瑞光寺』とも呼ばれています。団扇の原型となった元政型「深草団扇」の発祥の地です。元政上人(1701年46歳没)の墓標には3本の修竹が植えられていますが、「一本は、法華経広宣流布、一本は、衆生救済、一本は、両親のため」という上人の遺命によるものです。毎年3月18日に「元政上人忌」が行われ、元政上人の遺宝が公開されています。

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